2023年05月04日

バス停

PICT0153.JPG
この写真 撮った時は富士山を撮ったわけですが、見る人によっては写っているバスに目が行く人もいるかもしれません。
撮影日は、多分昭和45年〜46年の冬 カメラはペンタックスSPだと思います。
撮影日の根拠ですが、富士山が真っ白なので冬、停まっているいるバスが三鷹行きなので、昭和46年以前(この年に吉祥寺に伊勢丹が開店し、その日を境に三鷹行きが突然廃止となり、吉祥寺行きが増便、さらにはバス回数券の裏側に伊勢丹の文字が印刷されるようになったという、どう考えても何らかの密約があったのだと思っています。)
場所は、当時の家の2階ベランダより・・・
同じところから同じ方向を撮った今の写真がこれです。(家は立替てますが、ほぼ同じ角度だと思います。)
IMG_6493.JPG

全然違いますが、ここは小金井公園の東口です。
今回の話は、バス というよりバス停の名前です。
バス停や駅の名前は変えるといろいろなところの表示を変えねばならないのでなるべく変えないようにしていると聞いたことがありますが、ここのバス停は、この写真の頃から名前が2回変わっています。
今、ここのバス停は「小金井公園東口」ですが、その前は「桜堤3丁目」そして、この写真の頃は「梶野橋住宅前」
私にとっては謎の一つなのですが、梶野橋住宅という名称は正式には無いんですね。
当時、この地区には私の家がある地域は、上水北親睦会という町内会があり、(今でもあります。)バスの停まっているあたりの一帯は、緑地会いう町内会、その向こうには都営住宅がありました。
都営住宅に町内会があったのか、どのような名前だったのかはわかりませんが、親たちは単に都営住宅と呼んでいました。
小金井公園はずっと昔からあり、現在の江戸たてもの園は戦争中、学習院(私の母校)が疎開してきたりしていました。当時は小金井公園ではなくて、小金井緑地と呼ばれていたんだと思います。
ただ、その領域は、今でいうとつつじ山のあたりまでで、今のテニスコートバーベキュー広場、野球場のあたりは宅地だったことになります。
で、梶野橋住宅ですが、そのような住宅名は無く、近くを流れる玉川上水には梶野橋という橋がありますが、これは小金井市 この地区は武蔵野市なので、よく解りません。
多分ですが、バス停が出来た当時はこのあたりに目印となる地点が玉川上水の橋くらいしかなく、一番近い橋が梶野橋だったので、安易に梶野橋に近い住宅→梶野橋住宅となったのではないかと想像しています。
そんなわけですから、多くの人は梶野橋住宅と聞いても何処なのかはわからなかったのではと思います。
実際、この名前の時代に駅からタクシーに乗り「梶野橋住宅前」のバス停まで!と言っても判ってくれる運転手さんはほぼ皆無でした。
現在、ここを通るバスは終点折り返しではなく、循環コースになっていますが、梶野橋時代は、ここが終点で、このバスのようにここで方向転換をしていました。
角に小さな小屋が見えますが、これは、方向転換の際の誘導員の方の詰め所でした。
余談ですが、当時関東バスには三鷹〜武蔵境というバスがあり、これはなかなかマニアックなルートの路線でした。ちょっと正確ではないかもしれませんが、武蔵境から今のルートで花小金井駅まできて、さらに今の田無タワーの裏当たりを通り田無橋場(田無警察の近く)から少し青梅街道を通り東伏見 電通裏 から三鷹駅へ行くという凄い路線でした。
なんて言っても、地元の人間しかわからない話で、失礼いたしました。
小金井公園が整備され、「家は小金井公園から数歩なんですよ〜。」なんて言えるのは良いんですが、本当は富士山を家から見たい。というのが本音ではあります。

さて、関東バスですが、この頃の3ドア車の後部ドアは折り戸だったようですね。
最晩年の頃は引き戸の1枚ドアでしたね。
IMG_2621.JPGIMG_2622.JPG
posted by 小倉工場 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック